ココの処、他の街で録った写真 or 他のHPの写真を拝借!? して、ページ
を創っていたので、今回は、我が街の、美幌博物館 の、企画展の展示
物を使って、このページを創る
約30年前?頃、一般に?普及した、「ワープロ(ワード・プロセッサー)」
その基本性能は、眼に見えて判る!のが、記憶メディアが「3.5インチ」の、
PPD (フロッピーディスク)を使用(&仕様)なので、ペナペナ!? なモノでは
無いので、ディスクトップ型ワープロとしては、中期?のモノ
いま!の時代、ディスプレイは「カラー液晶」系が当たり前!? だが、これは、
多分「白クロ画面」である
多分?フロッピーのスロットが、1つ!だけだから、HDD (ハードディスク)は
搭載されているハズ
だが、その容量は、いま!のお手軽な、記録メディアの、USB メモリー等が
「G(ギガ)」の単位になっているが、それの100分の1にも満たない? 20MB
とかの世界で、メモリーも、12MB!? とかのシロモノで、アプリ(アプリケーショ
ンソフト)の複数利用すら儘(まま)ならず、遣る作業に拠って、立ち上げるソ
フトを切り替える?或いは、ワープロの電源を入れ直して、始め直す?なこと
を要求する、そんな時代の、その最先端!にあった機種である
お値段は、20万円程度はした?ハズで、コストパフォーマンスは、今の時代
で考えると、それこそ!その時代の「遺産」的価値があるか、どうか?のシロ
モノである
※但し、それに換わる、色んな「電子機器系端末」は、その後マスマス、その
性能を「桁違い?」に進化させ、当に?『時はカネなり』で、単に「実用の観点」
から考えれば、諮れば、単なる「遺物」でしか無い?という判断も出来る
いま!「シロモノ家電」というジャンルは、家具とは別の、「3種の神器」と云わ
れた、洗濯機&冷蔵庫&テレビなどが、代表!と思われている
が、「ワープロ」というモノが、家庭に進出してから、もっと色んなことが出来る、
PC(パーソナル・コンピュータ)が普通に、各家庭にある(但し?その性能は
問わない)のが、当たり前!になった時代
既に、PCも「シロモノ家電」化したと、考えることも出来る
その一方で、「電話」というジャンルに於いても、黒デンワというモノが、家庭
に入って来てから、約60年?位哉
その後、モバイル(自動車搭載型電話器)というジャンルが生まれ、もっと小
さい「携帯電話」を持つのが当たり前!になり、それこそ、上記のワープロを、
遥かに超える性能の「スマートフォン」が、日本では、その人口の1/3のヒト
の、手にある時代になっている...
それこそ?(地球の裏側を含めて)離れていても、「同じ時間」を共有している
ことを、それらの道具を使うことで、実感出来る!時代でもあること
そのことは、単純に「良いこと」ではある
が逆に?その時間の流れが、手にとって判る!から、その「時間(タイム・ラ
イン)」に、みんなが追われることで、ストレスが溜まる!時代になっているこ
とも、同じ時代の、側面でもある
一方?モノゴトを「コピーして、みんなで共有!」する為の、記録メディアの1つ
未だに?CD などに、楽曲を複製することを、プレスするという「言葉」の原型?
になった、レコード盤
この物理的な「溝(ミゾ)」の中に、音が記憶されている...
だけど、それだけでは、「音」を取り出すことは出来無い!ので、それを「音」に
戻す為の、器具「レコード・プレーヤー」
その進化系は、日本では「ステレオ」っていう、名称を使っていたモノになり、
多くの家庭に進出した
いま!の時代は、レコードでは無く、カセット・テープ、CD、電子配信の時
代になり、「コピー」の在り方?は、多岐に渉る
併せて?色んなモノが簡単に複製(コピー)出来る!時代だからこそ、「著作
権」というモノに、みんな過剰な程の反応をしなければイケナイ
そんな時代になっている
確かに?楽曲を作る、それを演奏する、レコード盤を造る、レコード・プレーヤ
ーを造る!
その過程に於いては、物理的な「道具」が必要であり、それなりの技術が要
求される時代であり、それを持っていることが前提になるから、
それに併せて、色んなモノが守られていた
然か~し!今の時代は、それを「電子的」な処理で、コピー出来る!から、
ヤヤコヤしい!? ことになっている
その上、色んなことを「数値化」することが、正しい!って、みんなマインド・
コントロール?されているから、真実が観得て来無い?
けれど、何かを創る!という過程は、霞を食って乗り切る?っていうことは
出来無いし、「役割ブンタン」を広範囲に行なって、お互いに、何かを交換
することが当たり前!になっている時代に於いては、物々交換?の時代
に戻るワケ?にはイカナイのも、当たり前田のクラッカーである
話しは、ドンドン進む、が...
大きなシロモノ?では、消防車になるが、それの原型?の、動力が「ガソリン」
式の、ポンプである
これに行き着くまでにも「色いろな時代」があったが、それらは端折(はしょ)る
として、いわゆる?動力の単位が、馬力と言われていた時代式!? にいうと、
これが有る!お蔭で、何人の「手」の換わりになったのだろう?可
最低でも、「バケツリレー」式に、水を運んだことで考えると、10人やそこらの
換わりにはなった蓮
然も、「疲れた!」とか文句は言わないで、黙々と水を運んでくれるから、それ
を使う側は、ラクである
※但し、ときたまご機嫌ナナメ!? になる、そして、使っていれば何処かが、壊
れる!ことがあるから、100%の信頼と、永久に使える!! ワケではない
然も?新しい性能の良いモノが開発されるから、買い替え時のタイミングも考
えなければイケナイ?
それこそ?この世は、文句を言わない?けど、 今まで、色んな「ヒトの手」を
必要とした&煩(わずら)わせていた?色んな存在と時代を共有している...
それを、単純に『幸せ?』と感じることが出来無いのは、何故?なのだろうか。