NEW! ほっとあいずオフィス

今までの「ホーム・グラウンド」だった、MARUTA から、ココへ引越し

うつして!見ないと、ワカラナイ。也

挿し写真: 家紋?の樹 at 北方民族博物館

0925_フレップ会.jpg

ウィルタ刺繍のタペストリー

 

いま!やっと?自分としても「カタチ」になって来た~ッ!! と思っている、tw & FB 連携!ブログ達

 

電脳界に復帰!してから、ズ~ッ!と行ってきた、色んなカタチでの「曼荼羅図」創り

今までは、創って居るモノ(=ワタシ)だけが、ワカル!? だったモノから、みんなで共有出来るモノになりつつある

そして、それは、インターネット上で、多くの人々が志向してきた方向(その原点は、私が興味のあることは、みんなも興味がある蓮!にはじまり、色んなモノゴトを蓄積して、共有財産化すること)の、延長線上に在る!と考えて居る

 

過去、色んな、情報サイトが、自分の処に、どれだけ多くのヒトを集めることが出来るか?にヤッキになっていた時代から、tw & FB の出現(但し、基本は、そのサイト上が、主戦場ではある)に拠り、そのタイムライン上を流れる「短冊(情報)」を外部に貼り付けることや、それぞれが、自分の手で加工出来ることにより、時代は進化した!と考えている


増して、ワールドワイドに繋がっている「仕様」は、ドチラか?というと、直ぐに!? ウチ向きになりがちな、日本人にとっては、当に!黒船襲来?の如しモノではある

それこそ、国家が、その使用を禁止する(中国やトルコ!?)ほど、その広がりは、広い

 

先ずは、そこにアカウントを取得しなければ、始まらない(当初は、FB は登録者のみ閲覧が可能だった?)が、外部に貼り出すことで、「誰でも見る事が出来る」用になる...

 

基本!布は、タテ糸と、横糸を組み合わせて、織り上(揚)げる!

0517_縦&横.jpg

※以上、写真は、旭川市 優佳良(ユーカラ)美術工芸村 にて

 

人間関係が、目の前のヒトだけであれば、名称は、その内輪の中で、区別が付けば、それで、イイ。

けれど、同じ名称や、同じ機能を持ったモノが居れば、先ずは「地名(所在地)で区別する」のが、判り易いし、探し易い!?

だから、タテ糸は、地域別にした


そして、社会が成長するにしたがい、「役割ブンタン」が多岐に渡るのは、必然で、克つ!それぞれの「まとまり」の中の、役割ブンタンは、大体同じ?になっていく

だから、ヨコ糸は、分野別で考えた

 

だから、それが織り成すモノ、それを組み合わせたモノが、ニッポンの曼荼羅図になっていく...

 

一方、イチバン解からない?のは「自分自身」だったりするが如く?
何かに映る(&移す)ことに拠って、実際が解かって来るモノ

 

♪鏡に映す?と、自分がワカル!?

0517_三浦綾子鏡.jpg

※写真は、三浦綾子記念館 の「闘病時代 使っていた手鏡」の中~ッ!

 

人間界の「コミュニケーション・ツール(道具)」は、原始?の頃、音(声)での伝達に始まり、文字や絵、そして、活字や写真や動画と、いま!は、その方法は多岐に渡っている

電脳界に限定しても、電子メールに始まり、HPや掲示板、ブログ、SNS、そして、tw & FB や、LINE、G+ その他のモノ...
それこそ、ブログに関しては、多岐に渡っており、最初に出会った処に留まっているヒトも居れば、流行スタリも含めて、アチコチ移動しまくっているヒトも居る

最近、ブログ紹介サイトの、にっぽんブログ村.gif にほんブログ村 が、より単純な作りの、Muragon という独自ブログサイトを立ち上げたりしているが、幾ら?上記のイワユル「ミニSNS」があっても、まとまった文章を書くには、ブログ形式の方が優位であることは確かだし、

それこそ「道具」の使い分け!で対応すれば、良いと考えて居る

 

個人的な、それなりに? tw & FB の両方を、俯瞰した感じでの「分布図」?としては、メディア系は、tw 優位、FB は最近、各種団体ユーザーが増えつつあると感じている

但し、ドチラかのみ?或いは、それだけ!の使用は、NG だと考える

その理由の、詳しい話しは、またの機会にするが...

 

なお、当に?クラウドコンピューティング風に、色んな情報を、このオフィスもある、MARUTA のブログサイト上に蓄積して来たが、最近、レスポンスが重たくなって来ている

折角、長~い付き合いでもあるし、他の(無料の)ブログサイトでは、出来無いことが多い(メンテナンスをすれば、広告枠を表示しないで済む!など)ので、今後も使い続けたいと考えて居るが、それこそ?ユーザー目線で考えたとき、反応が遅い、または、接続出来無い!? ことが頻発するようでは、
思い切って「お引っ越し」も考えなればならない哉?と考えて居る