挿し写真: トーテムポール
写真は、道立北方北方民族博物館 所蔵
ココの処、「ソチ・パラリンピックを、勝手にPR」のページを、ほぼ全部!
のブログに貼り、そのリストから「RT短冊」を、tw の白い目玉オヤジで
創り、勝手に応援?しながら、また、NEW! Facebook リスト一覧 に貼
ってある、FB リストと、合わせワザ!で、twitter 連携!分野別ブログ集
の各ページ上に貼り付けた、tw リストを使って、パラリンピックとは別に?
3月に入り、毎週末に道東方面を襲っていた、暴風雪(低気圧)関連の、
情報を収集& RT or シェア短冊化することで、何が出来る可?の練習!?
と、使い勝手の確認を行なっていた
また、その過程で、もう一歩進んだ?複数アカウントを持つモノの、情報
発信!のカタチの、イメージ(構想)も持つことが出来た...
今までは、電脳の世界に、バラバラに存在する、情報の収集(≒アカウ
ント収容)と、それぞれの、リストの構造創りと、それぞれの、ブログの
ページ(のシステム)創りに追われて?
それを「使う側の視点」での、使い勝手の良い(&分かり易い)ツクリの
検討は行なって居なかった
矢ッ張り!必要は「道具の進化」の母!であり、具体的な目的の為に、
動いて見る(≒使って診る)ことに拠って、見えてくるモノが、或る。
今年に入って、FB に作業の重点を置いて、作業をしていた
日本の、SNS 界には、mixi にちょっと手を出している所はあったが、
NHK など放送界がキャンペーンを張り続けて来た~ッので、今まで、
tw だけを遣っていた、公的機関が多かったが、
いま!は、FB にも参入して来て居る所が増えている、空気感はある
ちょっと集めただけでも、軽~く?5,000件超え! をしている
FB の場合は、1つのアカウントで、リストを創って居るので、これ以上
の整理は、難しい!? が、tw の「目玉オヤジ」達では、その100倍程度
の、アカウントを収容する、リストを創ることは、可能である!?
※但し、その多くが、広告代理店系の会社が運用している場合が多く、
ご当地キャラ系の、アカウントが多いことなど、そのアカウントの形態
自己紹介文や、リンクの貼り方などを観る!と、大方の判断が着く!?
また、情報サイトに勧められて!的なアカウント、また流行だから作り
ました!的なアカウントも多く、折角、作ったのに、運用を中止している
アカウントも多数あったりするのも、事実ではある
確かに、ユーザー(架空では無く、リアルな存在として利用している)人
数の、絶対数では、「世界基準」で考えれば、FB の方に軍配が挙がる!
また、情報発信をする「立場」で考えれば、FB の方が、単体(それだけ)
で何かを遣るには、「短冊(ページ)」を作り易い
然か~し、多くのHP で採用されている、『お知らせ欄(の見出し)』の内容
を、そのまま?、HP の外に持ち出して、個人(自分)のタイムラインで見て
もらう!というカタチを意識した場合、文字数に制限があった方が、見易い
増して!FB の場合は、幾ら「リスト」を創っても、それは、1つづつの「単体」
として存在しており、改めて、別なカタチで、紹介しなければ、それを知る手
ダテは無いし、それは「タイムライン」という、眼に見えるカタチでは無い
このブログの、右サイドバーの下の方に、FB 版 オフィス の「FB 窓」を設置
してあるが、それを常に見ているヒトは少ないし、それにしたって、1つの団
体(のアカウント)のページを可視化して、紹介しているに過ぎない
今後、FB も、tw の「ウィジェット機能 」の様な、リストを外部に貼り付けられ
る機能を搭載するかも?知れない
が、FB の「姿勢(あくまでも「広告分野は自分たちの領分?と考えて居る)」
をみると、それはアリエナイ?と考える
※但し、可能性が「0」では無いので、そのとき!の準備は進める心算
多く(ときに不特定多数)のヒトが分かり易い!為には、同じ「尺度」で、同
じ価値観に集約する方が、管理し易い
或いは、1つのルールの下、優劣を着けた方が、ハッキリ色分けが出来る
だから、世界は1つになろうとするのは、必定ではある
写真は、国道334号知床横断道路の除雪作業中の 網走開発建設部
より、拝借。
だけど、この世は、どの分野にも「通訳(Interpreter)」が存在するが如く!
例えば、言語を統一することで、その形式を守る為に「行間」から零れる
概念(ニュアンス)があるのと同じ様に、通訳者の質を高める方が、世の
中が豊かなる
それこそ!多くの分野で「目配せ」をしなければ、イタダケナイ!! 処(立場
の者)が、その任を果たせずに、多くのトラブルが起こっている
正に?肥大化した、ガタイが大きくなった、恐竜たちが、自分の「身体」を
制御出来なくなっているのと、同じ構図が、そこには在る!と感じている
然か~し、社会インフラとしての、「目配せをする為のシステム」のカタチ
それは、案外「似ているモノ!」であり、同じ書式(カタチ)!で創ってあれ
ば、応用が利くモノである
生身の人間を、或る種「型」に押し込めるよりも、それぞれの想像&創造
力を活かしてもらいながら、その様子を、ちゃんと「遠目?」で観ている、
そんなカタチ
今までは「報告書」っていう、紙を作らなければ、情報は伝わらなかった
今でも?分厚い「書類」を評価し、その内容は、二の次?的な、評価の方
式が、罷り通っている!
が、紙に書けることは、ネット上に貼ることが出来る!のが、いまの時代
である
但し、それぞれの立場で、何でもカンでも、フル・オープンでは困る!?
そんなこともあるから、それの「線引き」を、何処にするの化?を考えるの
も、より現場に近い処で遣るべきである
誰かが決めた「ルール」を使った方が、楽チンなのは、確かである
また、その方が、最終的な「結果責任(その判断)」に付いての、ケツ(決)
も取らなくても良い?っていう考え方もある
そうやって、何でも「お上」任せにして行くと、何時の間にか?雁字搦め、
そして、有らぬ方向に向かってしまいうのが、過去の「歴史」が語って居る
最近、ヒドラーの「我が闘争」の復刻版の話しがある
近い?人類の過ち、それと同じ構図が日本でも起こっていたのが、昭和
の始めの頃の、物語。
それを繰り返さない為にも、電脳界が在る!って考えて居る