日本が、欧米化へと邁進?し出した頃、紙幣制度の、甫(はじ)まりの時代の、「紙幣」
※お金の博物館(置戸町) 所蔵の、太政官札 と、民部省札 の、ホンモノ!である アップの写真
それまでは、「小判」や「米」など、そのモノが価値があり、それの量!と交換するのが、経済
であり、単に「額面」が書いてある、紙幣という形態の、『価値交換システム』で、世の中が廻
っているのでは無かった
言うなれば、物々交換!? を好しとする国であったのが、江戸時代までの、大和の国の風情で
ある
極端な話し、「紙幣」というモノは、それに書かれた「数字」と、等価!のモノと交換出来るとい
うことが、保障されていなければ、価値が無い!ワケで、その社会システムを何らかのカタチ
で、それを守ることが出来なければ、単なる「紙切れ」になるのは、急激なインフレを起こした、
国の「通貨」が、単に数字が増えていく!? 風になって、国そのモノが崩壊していくのが、その事
例である
それ(明治維新)までは、それこそ、ガラパゴスの如く!言うなれば、鎖国というカタチで、極東
の、ジパング!(≒楽園)だったのが、ニッポンであり、欧米で起こった「産業革命」に象徴され
る、制御不能?に近い、エネルギー革命 (当に!人間の「手」のチカラとは比べモノにならない、
チカラ)で、世の中が廻って行く時代に、巻き込まれた?
その中で、それを廻す「原動力」と言える、常に、インフレを起こしながら、「数値」だけが、天文
学的数値を志向する、世界に仲間入り!したのが、ほんの?1870年代の日本に於ける、「紙幣
の流通」に拠って、はじまった!と考える
それは、タカダカ140年の歴史!であり、世の中が幾ら?複雑なシステムになり、色んなカタチ
で、それを補完する安全策を採っても、あくまでの「物々交換」よりも、理解し辛く、かつ、「数字」
に書き移されただけで、その「数字」そのモノは、結局の処、ニセモノ!? でしか無く、実態は無い
それは、お互いの「信(≒ヒトの言葉)」の積み重ねで、繫がって居なければ、偽者!が紛れ込む
付録:
食べ物の、信頼度、或いは、「認定」をすることで、その「印」に責任を持つ!現れ...の、
JAS マーク の、「表記」の、色いろである