子供の頃の遊び: だるまさんが、ころんだ
1~10を数えるときに、そうした方が、面白い!から、みんな使っている!?
禅(ZEN)の、ココロを確立したと言われる、達磨さん
色んなヒトが、絵に描いている
達磨さんの絵 その1 (模写!? ) 遠軽町白滝にある、禅寺さん所蔵
達磨さんの絵 その2 (オリジナル)
永平寺 (← リンク先は、公式では無いが、公認!) 所蔵
多分「その1」だけ?を観たら、それを観ることが出来るのは殆どが檀家さんだ
から、単純に、有り難い、達磨さんだ!と思う
けれど、そうでは無く、この両方を並べて観ることが出来るとき、色んな違った
反応が生まれてくる...
確かに、その1は、その2の、「模写」であることは、明らかである
だから、価値が無い!って言いたいヒトは、100人居れば、1~3人位は居る
中には「著作権法」なんかを持ち出して、訴えてやる!なんて騒ぎ出すヒトも、
もしかすると、千人に1人位、出てくるカモ?知れない
然か~し、そんなことをする?意味は、全く無い!のが、ココロの世界である蓮?
である
それは、その「絵」が誰がどの様にして描いたのか?が、重要では無く、その絵
を通して、観た側が、何を受け取るか?が、重要で、それが伝わるのであれば、
その経路がどうであれ、全く問題は無い
モノゴトは、何かに描き移した時点で、それは「ひとり歩き」するモノ
それは「言葉」という、道具においても、同じ!であり(言葉が通じ無い!? 場合は
どうしようも無い?が)共通に使う言語体系に於いて使う「単語」にまで、それの
「所有権」を言い出したら、会話が成り立た無いことになる
一方では、「使ってはイケナイ言葉」っていうモノが、存在する宗教もあったりする
が、元来、「入口?(≒口にする段階)」で駄目!っていうことをするから、伝わら
無い事になる
或いは、多くの「著作権を盾にする!」考え方は、それを所有する、または、創った
ヒト本人では無く、その周辺の者たち!? であることが多い
最近、色んな分野で「○○遺産」が流行るが、論議をかもし出してもいるが、それ
が製作される段階では、創り手は、単に「みんなの為」だけを考えていたりするだ
けだったりする
それを、妙に有り難がって「遺産」っていう、アトで手を加えられないモノにしたがる
のは、それに権威付けをして、利用したがる向き?だったりする
或いは、認定することはしても、それを広く知らしめることはせず、内輪ウケ?で終
わっている?モノゴトって、沢~山、有り過ぎ!? って最近、考えて居る。也
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遠軽郷土資料室 兼 遠軽町埋蔵文化財センター
遠軽町生田原 チャチャワールド から出張中の、お人形